ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー(2018 Bob Ludwig Remastering)


信じられないことかもしれないが、ハリー・スタイルズの「As It Was」、ヒップホップのパイオニアであるアフリカ・バンバータの「Renegades of Funk」、マック・デマルコの「僕は一寸」、そしてジャスティスの「Horsepower」には相通じるところがある。その共通部分の中心にあるのは、日本の伝説的なトリオ、YELLOW MAGIC ORCHESTRA(以下YMO)が一つのピークを示した作品、1979年9月リリースのセカンドアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』だ。 1980年代が幕を開けるほんの数か月前に発表されたこのアルバムは、その後の10年間に世界各地で生み出された多くの革新的な音楽の青写真となった。同作は、最も早くエレクトロニックミュージックをポップの世界に持ち込んだ作品の一つであり、最も早く最先端のシンセサイザーやローランド社のTR-808のようなリズムマシンを使ったアルバムの一つでもあった。そしてこの往年の名作に収録されている8曲の中には、テクノ、ヒップホップ、シンセポップ、ニューウェーブといったさまざまな音楽の種がある。 YMOの物語は1978年に東京で始まった。ある日、ベーシストの細野晴臣は、ドラマーの高橋幸宏とキーボーディストの坂本龍一に一獲千金を狙えるアイデアをぶつける。それは、マーティン・デニーが1959年に発表した、やや安易な手法で東洋風の雰囲気を演出したヒット曲「Firecracker」を、エレクトロニックなディスコにアレンジして録音し、西洋人がいわゆる“東洋”に対して抱いている考えを破壊するというものだった。そうして生まれた「ファイアークラッカー」(セルフタイトルのファーストアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』に収録)は、全米と全英のヒットチャートにランクインし、初期のヒップホップDJたちのパーティーにおける定番曲となった。この予想を超える反響を受け、もともとは一度限りのプロジェクトのつもりだった彼らも後に引けなくなってしまう。かくして、うれしいことにYMOは活動を続けることになった。 そして、グループのユニークな魅力を凝縮したのが、セカンドアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』だった。確かに、YMOの電子楽器の使い方を、その数年前に世界的な注目を集める存在となっていたクラフトワークと比較する向きもあった。しかし、このドイツの伝説的なグループがより前衛的かつロボット的だったのに対して、YMOはポップや日本の伝統的な旋律を取り入れ、未来的な風情を醸し出すデジタル楽器を使いながらも、温かみがあり、親しみやすく、楽しげで、人間味さえ感じさせるサウンドを生み出す手法を確立していた。それは、アルバムの冒頭を飾る「TECHNOPOLIS」のロボットボイスが、ボコーダーを使っているにもかかわらずフレンドリーなことや、「RYDEEN」における、まるで物語の主人公が放つようなエネルギーの輝きに象徴されている。「RYDEEN」はその後、いくつかのビデオゲームのテーマ曲にもなった。 彼らは、西洋のポップミュージックを象徴する偉大なバンドの名曲にも果敢にチャレンジした。ビートルズの「DAY TRIPPER」だ。原曲はエレクトリックギターのリフがけん引するストレートなロックンロールだが、YMOはこの曲を遊び心にあふれたテクノミュージックに変貌させている。 一方、欧米のトップアーティストたちもYMOの音楽に反応。「BEHIND THE MASK」は、エリック・クラプトンやマイケル・ジャクソンをはじめとするアーティストたちにカバーされた。マイケルのカバーバージョンは、彼の死後2010年に日の目を見たが、もともとは空前の大ヒットとなったアルバム『Thriller』に収録しようとしていたという。『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』は100万を超えるセールスを記録し、YMOは1980年代初頭の日本の音楽界において最も影響力の強いグループの一つとなった。 そこからの4年間でさらに5作のアルバムをリリースするという多忙な日々を過ごした後、彼らはバンド活動を休止した。この時YMOは“解散”ではなく“散開”という言葉を使っている。その後もプロジェクトごとに幾度となく活動を共にする細野、高橋、坂本は、それぞれのソロキャリアにおいてもさまざまな形で伝説を生み出していった。高橋は、2023年にこの世を去るまでにソロ名義のものだけでも21作ものアルバムをリリース。同じ年に逝去した坂本は多くの映画音楽を作曲し、アカデミー賞やゴールデングローブ賞も受賞した。遺作となったアルバム『Opus』は、日本人アーティストとして初めてApple Music Classicalのグローバルチャート、クラシックトップ100で1位となっている。 細野による豊富なカタログも再評価されている。1973年にリリースされた初のソロアルバム『HOSONO HOUSE』は国内外の幅広い世代のアーティストに影響を与え続けていて、ハリー・スタイルズのヒット作『Harry's House』のタイトルも、同作にちなんで付けられた。また、細野の曲をカバーしているマック・デマルコも、細野を崇拝している。「彼はまさにレジェンドさ。本当にたくさんの種類の音楽を、とても長い間やっていて、そのすべてが素晴らしいんだ。彼のグループも本当に素晴らしい。僕は最初に彼のソロ作品を知って、すっかり魅了され、その後に“YMOって何?”ってなったんだよね。そうしたらなんとメンバーそれぞれが山ほどレコードを出していて、その全部がすごいんだ」 YELLOW MAGIC ORCHESTRAの世界はまさに底なし沼だ。キャリアも何十年にもわたっている。そして、その深遠なる世界への第一歩に最もふさわしいのは、マックが何と言おうとも『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』なのである。