あなたになりたかった

あなたになりたかった

「僕はずっと自分以外の何者かになりたかったんです」。平井堅は、Apple Musicに語る。彼がデビュー25周年イヤーにリリースした10作目のアルバムには、『あなたになりたかった』という意味深長なタイトルが付けられた。「タイトルを決める前に、自分ってどういう人間なのかなって、そんな厄介なことを考えていたんです。そこで浮かんだのが、常に誰かをうらやみ、誰かをねたみ……何をやっても満たされない自分でした」時代を彩る名曲の数々を残してきた、日本を代表するシンガーソングライターである彼のこの言葉を、意外に思う人も多いのではないだろうか。しかし、アルバムの冒頭を飾る「ノンフィクション」で彼は確かにこう歌っている。“優れた人を羨(うらや)んでは自分が嫌になる”。「デビューして25年やってきたけれど、どこか自分のことが嫌な自分は消せなくて、むしろふがいなさや、やるせなさは増すばかり。ただ、人をうらやんだり、自分自身を疑ったりする自分がいるというのは、歌をうたう上では無意味なことではないかもしれないとも思います。そうした嘘のない気持ちを歌にすることが今の僕にとって一番自然だったんです」愛されることへの渇望と自我の揺らぎを描く「怪物さん feat.あいみょん」、地方都市でくすぶっている女性の焦燥を歌う「オーソドックス」、本音と建前の激しい乖離(かいり)を告白する「知らないんでしょ?」。自分の置かれている状況から抜け出したいのに抜け出せない閉塞感を表した歌には、平井堅自身が感じていたジレンマが反映されている。「歌の主人公=自分ではないんだけど、自分の気持ちを誰かに預けて物語を作るという、私小説ならぬ“他小説”のような感覚で作っています。僕らは決していい時代とは言えない今を生きている。その片隅にいるいろんな人にピンスポットを当て、物語を紡ぎたいと思っていました」シリアスなテーマを掲げる一方で、エンターテイナーとしての姿勢も健在だ。水曜日のカンパネラのケンモチヒデフミが作曲とアレンジを手掛けた「1995」は、ゴアトランス的なサウンドがあやしい魅力を放つ異色のナンバー。この「1995」は平井堅がデビューした年であり、さまざまな出来事が起こり日本が転換点を迎えたといわれるエポックメイキングな年でもあった。「ケンモチさんには、このアルバムのはっちゃけた部分を担ってほしくて、とにかくガチャガチャ遊びたいとお伝えしました。1995年は悲しい出来事とキラキラした文化が混在した印象的な年でしたね。音楽シーンでは女性アーティストやバンドが花形で、男性ソロは売れないと言われていたんですけど、そんな時代に白い服を着て爽やかに歌い上げちゃった自分がいて(笑)、今思えばよくデビューできたなと思います」最後に、アルバムタイトルにちなんで「子どもの頃になりたかった人は?」という質問を投げかけると、彼はこう答えた。「それはもう完全に桑田佳祐さんです。なりたかったというか、近くに行きたかったというか。僕のヒーロー、アイドルですね」その言葉の通り、今や平井堅は憧れの人と同じように大きなステージに立ち、人々の心に響く歌を届けている。それでも欠乏感が埋まることはないのだろうか。「そうですね、歌手になるという第一志望の夢は叶ったけど、歌手になったからこそつかめないものもたくさんあって、いまだに迷子です。自分は満たされているといつか言いたいですね。『僕満たされてます』というアルバムを作って引退できたら……なんて、そう思える自分なら、今こうして歌っていない気もします(笑)」

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